2011年5月11日水曜日

中野駅周辺の暗渠の源流地点特集!御囲い目線でまとめ!

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ということで、家から半径1kmくらいの範囲の記事を書き続けます。
暗渠散策編・目次はこちら。

ちょっと色々思い立ったので、
今まで別々に調べたり散策してきた中野区(周辺)の川を、
御囲いに接しているかどうかという穿った視点でまとめてみます。
生類憐みの令で保護された野犬たちの犬小屋の在った場所です。

※ ※ ※ ※ ※

まずは谷戸川または天神川。
この川の詳細についてはこちら

より大きな地図で 中野駅周辺の暗渠 を表示

ライフ脇辺りが最上流と思い込んでいましたが、
先述の記事にも書いた白地図では、より上流があります。
古地図を見ると谷戸の先端は中野サンプラザ前の広場辺り。



この日はモーニング娘。のライブがあるらしく、ファンの皆様が集まっていた辺りです。
もちろん現在ではコンクリやらなにやらで固められて小高くなってます。

これはiPhoneのすてきなアプリ、
東京時層地図の現代と昭和30年代の地図の比較。
同じ場所に矢印をフォトショップで付け足してみました。
サンプラザ前の広場から区役所の辺りが谷頭です。

 

中野通りを挟んだ辺りから、白地図上の谷戸川または天神川が始まります。
まあ、昔は色々ぬかるんだりして、色々な所から湧いたり湧かなかったり。
それをだんだん護岸したり生活排水として埋め立てられたり。
で、この形に固定されたのでしょうか。

  

ちなみにこの川が中央本線を渡るまでの区間は、
水田の取水用と排水用に二本の流れがあり、それを一本にまとめられ、
その上で埋め立てられた様子がわかりやすい、良い暗渠だと思います。
ちなみに御囲いの一ノ囲い、二ノ囲に接してます。

ここの川筋をたどるのは疲れるから、もう勘弁な。

※ ※ ※ ※ ※

次は、上高田支流。この辺で記事にしてます。
でも前回の記事では源流をぼんやりさせてました。
なぜかというと、解らなかったからw


より大きな地図で 中野駅周辺の暗渠 を表示

まずは南側の源流っぽい感じ。確かに谷戸っぽくなってる。
早稲田通りから一歩入った所にあります。

  
細い道で、途中に薔薇など植えてあります。
私は薔薇の精霊の一種なので薔薇の棘で傷つくことはありませんが、
普通の人間は要注意。それと盛り塩。
この後、墓場や斎場の脇を流れるこの川、色々怖いです。

ここ、少し南西に中野ブロードウェイがあります。
中野ブロードウェイは文化湯という銭湯や乃木大将の邸宅跡に立てられたとのこと。
文化湯は早稲田通りに面していたらしいです。
その文化湯の排水はこちらに流されていたのではないでしょうか?
どうでしょう?
ということで御囲いの二ノ囲に接していたと推測されます。

真ん中の支流、あまり暗渠感はないですが、
薬師アイロード商店街にある銭湯、ことぶき湯あたりが始まりなのかも。

次は御囲いは関係なさそうな北側の源流っぽい感じ。
確かに谷戸っぽくなってる。
で、その谷筋は新井薬師(梅照院)に掛かっているのではないかと、
ずっと思っていましたし、そう思っている(願ってる)方もいるみたいです。
私もそうなれば愉快だなあと思っていました。


しかし、どの資料、どの地図を見ても、その手前までなんです。
白地図上の川の跡も、新井薬師の1区画東から川が始まってます。

  

そもそも、新井薬師さんのオフィシャルWebサイトには、
清水の湧きいずるこの地で行をはじめたことがきっかけって書いてあるし。
期待しちゃうわチュッ!ってことなんだけど、
やっぱり新井薬師さんが源流だったという資料は何一つないです。
現地で近隣の人や新井薬師の中の人にも聞きましたが、です。

そもそも戦後には蓋が閉められたような川らしいので、
近所のおじいさんも川があったことは思い出してくれましたが、
その後ずっと住所を復唱するといった感じで、よく解りませんでした。

新井薬師さん源流説は唱えたいものの、現時点では難しいかも。
新井薬師ではなくても、周囲からも水が沸いていただろうし。

また、古い地図など見ると南側の源流からの川は濃く書いてありますが、
北側の新井薬師さんからの流れは、無いか、薄いか。
水量も少なかったのかも知れません。

※ ※ ※ ※ ※

他に御囲いに関わりがありそうな川は、たかはら支流
まんま御囲いの四ノ囲の中から流れ出し、五ノ囲の脇を通り、
桃園川に合流しています。

また、全然関係ないとは思っていたのですが、意外と、
妙正寺川野方支流(勝手な通称:ドーナツ谷支流)の最上流も、
早稲田通りの向こう側には御囲いの四ノ囲になる感じです。

また御囲いの一ノ囲いの周囲には、
桃園川へ注ぐ小さな川があったと思われます。
白地図に出ている物、出ていないもの。
以前も書きましたが、後々東京府の農業試験場が作られたほどですから、
水は豊富だったのかも。

また中野区と杉並区の区境辺りも川があったと聞いたこともあった気も。

※ ※ ※ ※ ※


ということでなにやら強引な御囲い視点でまとめてみました。


より大きな地図で 中野駅周辺の暗渠 を表示

まあ御囲いの辺りが高台になっていて、水の沸きやすい地形だったから、
だからこそ御囲いに選ばれたのかもしれないし、
そうじゃないのかも知れないし。
でも、案外的外れでもない感じもしてまいりました。

また機会があったら、この辺も色々調べてみたいです。
とりあえず、この辺で。

1 件のコメント:

味噌max さんのコメント...

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