2013年6月16日日曜日

練馬の川シリーズ:下練馬村分水(羽沢分水)跡

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『下練馬村分水(羽沢分水)跡』なんて練馬区のWebサイトには記載があります。
これまたご近所さん。リハビリがてらに徐々に攻めるのにはよかろうもん。

ということで、またまた暗渠記事です。ここは練馬区です。
ということで、今回も暗渠記事です。

より大きな地図で 練馬の川跡 を表示 

いや、家の近所ナンすよ。 だったら寄るでしょ。
なんか谷間とか見たら進んで行くでしょ。
とりあえず、散策した後にこのへんを山椒。

練馬区: 下練馬村分水(羽沢分水)跡

練馬区は情報が充実してるなあ。
要するに、千川上水から石神井川への分水だとのこと。


武蔵大学のそば、環七の下。
西武新宿線を渡るための歩道橋にしては長いですね。



渡りきった反対側から見たら、こんな感じ。
閉鎖されてる向こうに古い作りの構造物が見えて、
橋の遺構かとも思ったのですが、 近寄れない...


ちょうどこの辺。不自然に太い歩道が、右側で不自然に狭くなる場所。
この辺はもう東京時層地図でも川の跡です。


ちょっと歩くと、もう練馬区名物の『水路敷』
杉並区の金太郎と同様に、公的な暗渠サイン。
安心のクオリティ。


くねくねした谷あいを下っていきます。
それらしい暗渠っぽさを保ちつつ、みちなりです。


仲羽橋の袂にたくましい合流口が垣間見れます。
左右の勾配がなかなか逞しい、清涼感のある川跡です。
素敵。



 ちなみに、今回の暗渠散策の折に見かけた蛇。
案外長い。
いや、いるもんですね、蛇。
このへんでも。

2013年6月9日日曜日

練馬の川シリーズ:濯川と弁天分水

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いやあ。暗渠の記事、久しぶりですよね。
それまでも、いや、色々書かなかった間にも、
某暗渠神と暗渠巡ったり、一人で散策したり、
色々あったのですが、そろそろ記事にもしようかな、と。

というのも、新居を練馬に構えたからです。
つらいこと、悲しいことのあった中野を離れました。
震災の記憶とか、酷いこと、たくさんありました云々云々。
ここで、心機一転、練馬ですよ。大根ですよ。住みやすいですよ。
ね、ま、それもありですよね。
ということで、今回も暗渠記事です。
 暗渠記事の目次はコチラ

さて、手短なところから行きましょうかね。
まずは江古田です。


より大きな地図で 練馬の川跡 を表示

近いすね、これまた。

今回は濯川と弁天分水になるのかしら。
詳しくは他の秀逸な記事をご参照くだされ。
武蔵学園記念室支援サイト 『濯川 歴史と景観
素晴らしい。練馬区の暗渠情報の充実ぶりったら無いですな。

さて、濯川。すすぎがわ。または、中新井村分水など、いくつか呼び名があるようです。
野菜とか洗ったりしてたらしいので、濯いだりもしたんでしょうね。
元々は千川上水からの分水らしいですが、
現在は武蔵大学の構内に雨水循環型の人口の川があります。


木製の水槽枠が埋め込んであり、そこからコンコンと水が湧き出ています。
雰囲気の良い校内をお散歩がてらに歩いていると、
途中で何処かに吸い込まれて、 いつの間にか水はなくなっています。


この後、北新井公園を抜けると緩い谷になっていて…
これこれ、暗渠らしい光景になっております。久々。 


暗渠といえば浴場。「とよたまよくじょう」ってまた、すごい名前ですね。
北豊島郡と東多摩郡の郡名から一文字ずつ取って名付けた小学校、
豊玉(ほうぎょく)小学校が1876年(明治9年)開校して、
そこから豊玉(とよたま)に地名変更したらしいです。
たしか、『とんねるずのみなさんのおかげです』のコント、
保毛尾田保毛男は練馬区豊玉が舞台という設定。
まあどうかと思うですけどね。色々。ねぶろ。


で、まあそれなりに道幅も広くなった所で、江古田川に合流。



合流口。すごく立派です...


でもね、現在の江古田川、普通の時の水量はこんなもの。
この地下に大きなパイプが埋まっていて、排水してるのかもしれません。 


で、もう一本、弁天分水。コチラもまあ、千川上水からの分水らしいです。
暗渠感が薄いので、 ダイジェストで。

途中、 東京時層地図に弁天祠と書かれた場所、
現在での市杵島神社のあたりも湧水があったとか。



目白通りと交差するあたり、橋の遺構がありました。ご立派。


でまあ、細い路地を辿って行くと、千川上水に突き当たります。


大学が多い町なので、物価は安いし飲み屋も多い。
自然も豊かだし。とても暮らしやすいです、練馬区。

久々のブログで要領を得ないですが、
新生活のご報告も兼ねて。

特にオチは無し。